車中随想夢現

読書会交友録として活用しています。紹介本の私的詳解。

犯罪|個別の物語と、症状としての凡例化|京都新聞取材班『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』|山形読書会(9/27)

▼「基本的人権は奪われうる、当たり前のものではない」的言説は主に権威主義国家の様相を指して取り上げられることが多いが、最近改善を訴える声が少なくない精神科医療による「措置入院」もその1つと言っていいだろう。自傷他害のおそれがあると精神科医が判断した時には、「都道府県知事の命令で」精神科病棟への強制入院を行うことがある。筆者も病弱につき医療の現場を見ることが多かったが、

患者「早くここから出してよ。刑務所みたいじゃない」
看護師「あなたは県知事の命令でこの病棟に来たので、退院請求も公の審査が必要となっているんですよ」
患者「そんなこと私は一言も聞かされてないわよ」
看護師「だから医療と行政が判断したんです」

というやりとりは頻繁に見た。理不尽だと怒っているうちは退院できず、そのうちにすっかり病棟の暮らしに慣れ切ってしまい、いざ出られるとなった時も「身よりもないし、ここが快適だからいいのよ」となってしまう光景もあった。安部公房砂の女』が恐ろしいほどシンクロする。

▼もちろん「統合失調症」「自閉症スペクトラム」などという言葉で括ればいい時もある。引きこもった挙句、暴力を振るいかねなくなった家族の不幸が、科学である医療と再現性のある対症療法のメスが入ることで、投薬などにより解決するケースもある。文明国における科学による成果と誇る一方でそこにはなんの「個別」もないとの愚考がつきまとう。

 

▼2019年に京都府で起きた「京都アニメーション放火殺人事件」は、36人死亡・34人負傷(犯人含む)と明治以降の犯罪史上最多となる犠牲者数を出した事件となった。本書は実質上の3部構成となっており、①当日の被害の様子と犠牲者の喪、メディアスクラムの様相②実行犯・青葉真司の犯行に至るまでの半生③公判の進行と、青葉被告との面会に踏み切った遺族の葛藤 で組み立てられている。

「みんな希望と誇りを持って、仕事をしていた。それぞれの名前を持っていた。われわれ残った者ができることは、毎日頑張っていたんだ、ということを多くの人に『覚えていてください』と言うことしかない」  負傷者の中には生死の境をさまよう人がいた。この日までに公表されたのは、犠牲者35人の実名だった。父親は、対面する記者たちの目をしっかりと見つめて、声に力を込めた。 「息子は決して35分の1ではない」

京都新聞取材班. 自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件 (pp. 48-49). 

▼一方で、遺族の対応も一様ではなかった。風化するという言葉を使いがちですが、と前置きした記者に向かい「なんで風化させてくれないの。晒しものになるだけじゃない。よう言うわ」と語った遺族もいた。府警は「実名報道断固拒否」「故人の写真も載せないで」と報道各社に伝え、京都新聞は取材班内での議論の末に生きた証を伝えるべく、事件の約1ヶ月後に犠牲者全員の氏名と、語られた人となりを見開きの紙面で公開した。だがこれは恒例ではなく、相模原市における障害者施設襲撃・殺人の「甲A」のような匿名表記してほしいという希望もあった。

 

▼「個別」が揺らぐのは被害者遺族に対する報道だけではない。大火傷の治療が終了した段階で逮捕された青葉真司被告の半生にも取材の手を及ばせた。学校では明るく柔道部で体格も良い、ただし家庭では両親の離婚などで父親が肉体的虐待を行うようになり、そのせいで学校に行くことがなくなった。フリースクールを経て定時制高校を四年で卒業し、音楽の道に進むも専門学校を新聞配達奨学生との両立困難で中退し、職を転々、前科2犯で収監歴もつき、それでも小説で新人賞を取る一発逆転の夢に賭ける。報道陣は青葉被告の半生に言及して「クラスには必ず一人こういう奴がいた」と語る。

 

▼だが、青葉被告は個別化された悪人と直ちに断定はされなかった。2ちゃんねるへの書き込みなどから「恋心を抱いた京アニの女性監督の発信に、自分への秘めたメッセージが込められていると思った」という妄想があったことが明らかとなり、「直接の動機は、応募して落選した小説のアイデアをパクられたと思ったから」としている。統合失調症の症例として青葉被告は凡例に回収され、裁判では刑法の「心神耗弱による無罰または減軽」が争点となった。結果、一審での判決は「犯行前には実行をめぐって逡巡していたプロセスがあり、心神耗弱には当たらない」と検察側の求刑通り死刑を宣告した。

 

精神疾患を含んでいたで済むのか。裁判では、遺族が台に立って青葉被告に語る光景もあった。「あなたの人生で苦労が多かったのは理解できます。でも、あなたの行為で人生に困難を抱えてしまった人が何十人と増えたことは理解してほしい」と、家族内では被告を「青葉さん」と呼ぶことで幼い息子に怨恨を増幅させないようにした犠牲者の夫が語った。青葉は最後になって「申し訳ない」との言葉を発した。

 

▼その後、夫は青葉との面会が許可され、「ありのままを聞かせてください」と伝えた。青葉被告は一気に陰謀論か何かを捲し立てて、規定の時間はすぐ終わりに近づいた。「僕が言ったことも、鑑定医は妄想にしてしまうんです」 次に面会が許された際は「人生にどんなものがあれば犯行には及ばなかったと思いますか」と夫は尋ねる。インタビュー取材のように話は進行していくが、青葉は「小説家になろうサイト」で読者が何人かついていくれれば、と答える。そして夫へ、「本当に申し訳なかったです」と深々と頭を下げた。青葉被告なりに裁判に真剣に向き合っていたと感じた夫の整理で裁判のルポは締め括られる。

 

▼全体を読んで印象深かったのは「凡例」と「個別」の衝突である。遺族だって裁判で思いを伝える者が全てだったわけではない。「青葉を憎むのは同じ土俵に乗ること」とついぞ公判に足を運ぶこともなかった遺族もいた。被告の弁護団は議論の一般化という戦略を取ったのかは不明だが「そもそも人の命を奪う死刑が妥当なのか」と提議しもした。犠牲者にはそれぞれの生があったことが忘却されていいのか、と語る裁判に関わった遺族とは、真っ向から対立する形となった。

 

▼なぜ人を殺してはいけないのか。「二度とは生まれてこない命だから」「ダメだからダメで何か問題あるのか」と多くの解釈を聞いたが、個人的に納得したのはこの医療マンガでの「その人が出会い関わる人たちの無限の樹形図を奪うから」だった。一方で、その医療は個別の苦しみを「症状」と凡例化して救うという矛盾も抱えている。法も概ね同じだ。個別の物語が「単なる承認されない愚痴」となってしまった苦しみは筆者も経験しているし、筆者だってこうなってもおかしくなかった。だが現時点において、法治国家以上の統治システムが発見されていない以上は、個人の熱情や物語が法理によって解体されて凡例化されるしかない。それができなければ、人を殺してはいけない以前の武力制裁と自力救済の世に逆戻りだろう。

 

▼本書は最後に死刑制度に関する是非をめぐって「個別解」の紹介を設けている。親族を殺された遺族が確定死刑囚となった犯人と文通を行い、最終的に「被告人の死刑執行取り下げを願う」運動を開始するが、先にその時が来てしまう。しかし、京都アニメーション放火殺人事件がそのような事態に進展するとは思い難いし、青葉死刑囚の罪は絶対に許されるものではない。「個別」と「凡例」とのせめぎ合いは、時に想像以上の苦痛と再現性の欠如の中で成り立っていることは、これからその道に進む者(あるいは、明らかに関係のない?道に進む者)が心して見ておかねばならない光景だろう。

小説|「決心」という名のご都合主義|M.シェリー『フランケンシュタイン』|紅花読書会(9/20)

▼フリー百科事典「ウィキペディア」にはたまに面白いカテゴリがあるが、一際編集力の際立つのは「自分の発明で死亡した発明家一覧」であろう。中国古典クラスタとしては法で秦を変革したが法によって亡命できず命を落とした商鞅が入っているのがなかなかにエグい。ということで、発明だらけの現代に警鐘を鳴らしているのが『フランケンシュタイン』である。

▼もちろん怪物には名前がなく、フランケンシュタインの名は創造したスイスの科学者ヴィクター・フランケンシュタインのものである。彼は父の書斎にあったコーネリウス・アグリッパやパラケルスス錬金術についての書籍を読み耽り、独学の知識でインゴルシュタットの大学に通う。「そんなものはもう乗り越えられた科学だ」という教授もいれば、「その情熱だって確かに科学を進歩させたのだ」という教授もいる。後者のもとで学んだヴィクターは、ついに人造人間の開発に成功する。

 

▼急激に進歩していた「近代科学」がフランクリンの凧のような公開実証実験(筆者も昨日行ってきた)による再現性証明を旨としていたのに対し、錬金術のようなオカルト(隠すという意味のイタリア語・occultareが語源らしい)は秘密空間での閉鎖性が特徴だった。錬金術だって確かに化学の発展の礎となったのは確かだが、少なくとも現代のAI産業やクローン技術のような最先端の科学?を投影するような読解には注意が必要かもしれない。

 

▼本編(と言っても最後の最後になってヴィクターを拾った探査船調査員が自らの姉に記した手紙というややこしい造りなのだが)を貫くのは、怪物を生み出したヴィクターの彼への嫌悪である。最初はこの世のものとは思えぬ醜悪さへの嫌悪だったものが、ジュネーブに戻った先で弟と家政婦が殺され、さらに逃亡したイギリスでは親友を殺され、さらにそこから復帰した先では大好きだった幼馴染の新妻を殺され、肉親を殺された憎悪がヴィクターの復讐心を生むストーリーになっている。

 

▼とはいえ、怪物が終始悪漢として貫徹していたわけではない。怪物はたどり着いたド・ラセーの一家の清貧と幸福に心を洗われ、その物置で暮らしているうちに言葉を覚え、著名な文学作品に関する知識も得た。まったく、善への方向へ向かう「世界線」もあったのだというあたりは、育つ環境にしたがう形で人間というものが形作られ、時にそれが凶悪犯罪者を生んでしまう現代と重なるというのは当然の見方だろう。読書会では人は怪物に生まれるのではなく、怪物になるとの視点が皆から出てきた。

 

▼主宰さんほか参加者にドヤ顔で「この物語最大の疑問点があるのですが」と筆者の視点を提供して、「怪物は言語を覚え文学作品の素養も得て、一定の教養が培われたはず。じゃあ、なんで芸術で昇華しなかったのか??」という問いを投げ掛けた。どうだ、オリジナルな視点だろうというドヤ顔を決めるまもなく主宰さんに応答されたのが「芸術をものせるのが当然の所与だと思わないでくださいよ」と。

 

▼作者のメアリー・シェリーは英国の、女性の権利が極めて抑圧されてきた中で育ち、驚くべきことに女性の名による出版権すら危うい社会的状況で過ごした。『フランケンシュタイン』ですら匿名作として夫の序文で出版せざるを得なかったのである。そのような抑圧の中で、果たして怪物が好き勝手に芸術をものそうと思えるかどうか、という点は頷けた。しかし、第二の反駁として近代美学の誕生としても引用がなされたのは流石主宰さんの卓見だった。

▼美学の発達史として「近代から自然を描くようになった」との導入がなされ、その美学革命?の中でbeauty(美)とは明確に区別されたものとしてsublime(崇高)が出てきた。『フランケンシュタイン』でもジュネーヴを取り巻くアルプスやモンブラン、英国の湖水地方や独仏の河辺、果ては北極海まで自然描写に満ちている。そのsublimeは崇高の他に荘厳、とでもいうべきニュアンスがあり、「怖い」「恐ろしい」「神々しい」という負の感情も込みでの美学用語であり、さらにそれはおそらく死の恐怖、ともすれば命を落とすかもしれないという恐怖が込められていた。

 

▼創造主への「恨み」や結局ド・ラセー一家に迫害された怪物はそういった自然の崇高を認識する芸術的観点から堕ちて、単なる怪物になった。そんな怪物は芸術を見出せないのではないか。自身の社会的・哲学的環境を踏まえて、作者メアリーは怪物に芸術をさせなかったし、そういった環境の中で「自然描写の中に非自然的な怪物が出る」という逆説、その存在描写がすでに芸術なのでは、という主宰さんの読み方だった。作家視点ではなるほどそうなるだろうか。

 

▼個人的に、この物語の愛すべき教訓は「決心という名のご都合主義」「成長譚も考えもの」ということなのではと思う。これも創造者フランケンシュタインによる「決心」という言葉の使用が気になった筆者の読解なのだが、フランケンシュタインはクリーチャーを創造するために科学を学ぶことを決心し、怪物が生まれれば逃げだし、怪物が追ってくれば話を聞き、伴侶を作ってくれと言われればそれを途中で投げ出すことを決心し、若妻を怪物から守ると決心し、彼女を殺した怪物をどこまでも追いかけて殺すと決めた。生半可な覚悟で生を亨け、方々で「決心」に振り回される怪物こそ酷い迷惑であろう。

 

▼筆者が駄々こね気味?の議論になるも頑として譲らなかったのは「こうであると決めることでこうでない誰かが傷つく」「決心は決心しないと物事を差配できない無能のすること」なのである。同時に、決心しなくても理知的・公正・是々非々をもって生を全うできるような人間はいるのにごく少数なのも、そしてたしかにいるのに恰好よい決心と成長の物語が持て囃されるのも悲しいところではある。

 

▼人間の人格成長という点では、ほぼ同時代に教養小説が歓迎された中で「決心」する主人公が自分の「決心」とその産物から逃げた挙句破滅する極めて異例の小説である。社会から排除された「無敵の人」の凶悪犯罪が目立つ中、成長譚ばかりを歓迎してしまう私たちにとって、大きな警鐘となるこの小説が広く読まれることを願う。

国語|想像の共同体というプログラミング|矢野利裕『「国語」と出会いなおす』|山形読書会(8/31 後編)

(前回の記事より)

▼ところで、国語の教科書に採用されやすいのはどういった文章の小説かというと、「説明しすぎていない」文章であるという。まあ教科書に限らず想像力を涵養する小説は好まれるだろうと思うが、熟練の国語教師は設問の「傍線部」をどこに引くかウズウズしているとのこと。

▼ここで、平野啓一郎『本の読み方 スローリーディングの実践』なども指摘しているような、「国語は国語の問題として読む」という点が重要になってくる。つまりは筆者の見識と本意より、切り取られて与えられたテクストの中で出題者の意図に答える競技と受け取れば良いのだ。ゆえに、作家や学者が自分の書いた文章からの出題を解いても、全問正解とは限らない問題が出てくる。

 

▼そのため、カフカの『城』のような、城はあくまで城であってそれ以上の何かではないという旨の読解は「ご法度」となる。これは文学研究においては基礎となる見方であるようだが、国語ではあくまで設問の中で答えねばならない。

 

▼では、そういった国語の教師はあくまで設問のエキスパートであり文学に昏くても成り立つ職業なのか。違うのである。国語教育に携わる者は、試験形式の限界を痛感する(与えられたテクストだけから読み取って確実な解答を導き出すのを促す)経験を通じて、却って小説の言葉の豊かさ、唯一無二性に触れうるという逆説を有するのだ。このあたりに関して、もっと現場のインタビューやフィールドワークなどでさらなる深堀りが必要だろう。

 

▼とはいえ、国語の設問読解は「常識」をもとに成り立つ場合も多い。日本史などの背景知識が当たり前のものとして設定され、さらに作中の設問にするまでもない言葉に対する語義把握もわかっている。「常識」はまったく必要となった時に、「常識」が要求されなくなる論理国語の方で起きた「反乱」を筆者は紹介する。「エベレストは世界で一番高い山である」ことが確かであるとき、「エルブルス山はエべレストが低い」と言えるか、という設問である。

 

エルブルス山はロシアで一番高くてもエベレストには標高で劣る山、という知識がなくても、論理で正解は導き出せる、と思いきや、生徒は反乱を起こした。「世界」の定義が定まっていないのだ。「世界」を引き延ばした時、例えば宇宙のどこかにある別文明の「エルブルス山」はエベレストを上回るかもしれない。世界の外側に目を向けたとき、この日本語の文字列は全く別の意味を持ちうるということだ。

▼そういった「世界」の判定は、やはり定型・健常者の側ありきで議論を立ててしまうきらいがある。今村夏子『こちらあみ子』や村田沙耶香コンビニ人間』はそれぞれADHDASD気味の世界を描いているが、書評家は「発達障害という言葉を用いずに主人公に寄り添える」としたのに対し、著者はやはり障害を周縁化してしまう、とのコメントを残している。「あみ子はあみ子を読めるのか」という問いは、国語教育の行間として確かに存在している。

▼国語の教育も進むと、悪名高い?暗記科目としての「文学史」が出てくる。私もこれがあまり好きではなかったが、どうもこの「文学史嫌い」の根源としてあるのが柄谷行人の『日本近代文学の起源』のようである。夏目漱石文学史研究の野暮さについて、近代を迎えて西洋を土台として初めて成立した近代文学の普遍を、そのまま過去に照射して「発見」して何が面白いのか、という眼で見ていた。

 

文学史研究の困難な点は、「現代」をまとめきれていない点にもある。明確な文学史としてまとめられるところは1970年代の「内向の世代」までで、そこからはもうポストモダンやグローバルやらごっちゃごっちゃになって、村上春樹の登場をもてはやした「若者」たちが今やジジババである。生前の古井由吉現代文学の状況についてコメントを求められた際に「今は5歳も齢が離れれば全く違う文化で育って先輩後輩で話を合わせることすら難しい。そんな中で、売れるものもあれば売れないものもあるということ」と語っていたのも宜なるかな

 

▼だが、 前編で紹介した川本三郎の「荒川土手」のような文学や映画、音楽を横断した見方を養う上では、文学史は学問として必要と思うとの見方も著者は示している。音楽を例にとり、ビートルズの曲の歌詞は英詩の伝統格式に則っていると言及しながら、島崎藤村の詩「初恋」を当時のメディア状況を踏まえ、「POP」だったと捉えている。島崎藤村宇多田ヒカルを「First Love」で結ぶ、そんなことも文学史を学ばなければそれこそ個別単語の暗記で終わってしまうのだ。

▼結びに、国語は植民地主義をベースとした科目でもあると歴史を振り返る。ただし、コリアンをルーツに持つ学習者の手記や、台湾生まれの作家である温又柔の日本語獲得の体験を、これまで声として出していた「日本語」が文字になって書き残されていけるようになった時、身体や属性での束縛があった「私」から離れてさらに何者でもないフィクショナルな「私」が完成していると読み解く。

▼国語の時間、私たちは作者の身体から離れた書き言葉の連なりを読んで「物語」として認識し構造化する。実は、それは実に得難いものであって、さらにそれは読もうとすれば異国、異文化をルーツにした者にも(言論・思想の自由さえあれば)開かれているし、同じ物語を読めばルーツを超えて「共有性」の「共同体」でのコミュニケーションができる、これはすごいことなのだ。

▼最後に、筆者の見解を。共同体であるにしろコミュニケーションであるにしろ、そこにはルールが必要である。ルールである以上プログラミング性が避けられないし、それは「暴走」しうる(そもそも暴走の先にある『望ましくない方向』にも定義が必要だが)ということである。

国語|想像の共同体というプログラミング|矢野利裕『「国語」と出会いなおす』|山形読書会(8/31 前編)

▼地元に帰ってからというもの本気の批評の授業を受けたことはなかったのだが、川本三郎先生の講演がライター講座で主催され聴講に行ったことはあった。映画論として言及されたのが、偶然映画館で観たことのある映画『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱監督、2022年)だった。ホテルの客室清掃員の仕事をしながら闘い続ける聴覚障害の女性ボクサーの話だが、やけに「荒川土手」が出てくる(確かに現地もランニングに適している)し、最後には負けた相手のボクサーが土木作業員をしてるのと偶然会ってくすぐったい雰囲気で終わる。この交錯こそ『放水路』永井荷風を嚆矢として連綿と続く「荒川土手」の文学史なのだと熱弁を振るっていた。

 

「国語」と出会いなおす

「国語」と出会いなおす

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▼とはいえ映画を観た人にそんな文学史を詳解して共感できる者は少ないだろう。というか文学史って必要あるん?とすら思えたし(本書の重要なテーマの一つでもある)、さらにいえば学校の国語から大学以降の「文学」まで何がどう接続されているのかはほぼ誰もわからないし、わかる頃には大学も卒業間近という者が大半と思われる(その点において、文学部はやはり『現世利益じゃない』というハンデがある)。

 

▼驚くべきことに、国語と文学は対立するものという認識は、作家たちにも広く分布している。2000年代の言論空間ではかなりの識者が「国語で文学は教えるべきでない」と喋っており、理想的形態として実に論理国語と文学国語の分化を推進すべきという言説が横行していた。20年後、彼らは「国語から文学を追放するな!」と言い出すことになるそうで、、、

国語教師は必ずしも文学青年ではない。それどころか、長年現場の国語教師だった経験からいうと、ほとんどの国語教師は文学嫌い、読書嫌いである。その一方、作家や評論家たち物書きは、概して国語教育に無関心であるか軽蔑している。全国で数十万の教師と生徒の集団を、サイレント・マジョリティーの読者として自覚している書き手はほとんどいない(詩人は比較的関心を持っている)。それに危機感をもちコミットを試みることの方が先決である。

矢野利裕. 「国語」と出会いなおす (p. 38). 

▼昨今のリベラル批判を引くまでもなく、「文学」の気高さは、親が学歴あるいは資産に恵まれ、読書環境において中学校1年時点までにかなりの格差が生成されたが故のものと言って良いだろう。公教育はその一定以上の層に達せず、本来なら読書なんて出来なさそうな環境の子供に文学作品との最低限の出会いを保障せねばならない。だが「文学的」「人文的」というのが一種のムラのコンセンサスのようなものであるのはまだまだ現実だろう。だから高校の教諭である著者の矢野利裕氏はやんちゃな高校のスポーツ科でディベートをした時の「ああ!?殺すぞ?」という言葉にも新鮮味を感じる。

 

▼この高校のスポーツ科での国語の授業は面白い。作品に即した授業として夏目漱石の『こころ』を壮大なテキストとして扱っているのだが、実にスポーツ科のやんちゃな生徒たちが「これ三角関係の小説じゃん!面白え!」と盛り上がるのである。

このようなクラスで『こころ』を読もうと思ったのは、「一生に一度は夏目漱石の文章くらい読んだほうがいいだろう」と考えたからです。もっともそれは、漱石の作品が人生において大事なことを考えさせてくれる、といったことではありません。あるいは、夏目漱石は基礎教養として読んでおいたほうがいい、という感じとも少し違う気がします。  強いて言うのなら、共通体験みたいなことでしょうか。時代の変化とともに共通の経験がどんどんと失われていくなか、「まあ、漱石くらいは授業で読んでおこうか。お札にもなっているし」というテンションで『こころ』を扱った感じです。だからそのときは、「実際に読んだという経験が大事。あとは簡単なあらすじくらいを把握してくれたらじゅうぶん」という気持ちでした。  しかし、そんな消極的とも言える『こころ』の授業は、生徒に思いのほか面白がってもらえました。別にそれほど気の利いた解釈を示したわけでもないのに。大学院修了直後の自分としては、そのことがとても新鮮に感じられました。 通説に対してアンチやオルタナティヴを示す文芸批評や文学研究においては、書いてある言葉の意味を理解し、書かれた内容をまっすぐに「面白い」と感じる、という段階にあまり目が向けられません。書かれた内容をそのままに読むという段階は、文章を読み慣れている人にとってはあまりにも当たりまえのことであり、すでに通り過ぎてしまったものなのでしょう。だとすれば重要なことは、「文学」に慣れ親しんでいる人ほど忘れてしまいがちな、このスポーツ科クラス的な感触をからだのどこかに持ち続けるということだと思います。

矢野利裕. 「国語」と出会いなおす (pp. 49-50). 

▼著者は、この後の受容過程を興味深く追跡している。確かに『こころ』の三角関係は構造であり、物語の定型だ。そこで蓮實重彦を引いて、物語は「複雑」を「単純」に見せてしまうという毒を提示する。小説とは個別化されているからだ。『こころ』の犠牲者は無用感による希死念慮を明記している箇所があり、「三角関係の苦悩で死んだ」は典型的な単純化の試みであるし、そういった「わかりやすい物語」に線を引いてこその「小説」なのだと。

 

▼しかし、著者はその見落としを指摘している。そもそも小説を読んだことなかったけど、なんか良いという感想を抱く「物語以前」の読者を見落としていると。「要約」ができ、さらに「単純化」「単一化」する作業は、全く必要である。恐れずに最初の一歩を踏み出して物語に感動するプロセスは全く必要なのだ。

構造のなかでそれぞれ役割や機能が見出されることによって、作品のなかに首尾よく収まっていきます。そうして、作品には奥行きと遠近感がもたらされることになります。この段階まで来れば、その人は物語をいちおう理解したと言うことができます。物語が「わかる」とは、小説の言葉を各構成要素に「分ける」ことなのです。だとすれば、構造が明示しやすい物語とは、そのまま「わかりやすい」物語であると言えるでしょう。  構造がわかりやすさをともなうのは、それが共通のフォーマットとして機能するからです。わたしたちは、たとえ小説を読んだことがなくとも、映画、マンガ、アニメなどを通じて「物語」に触れています。かつてならば、落語や講談も一般的だったでしょう(落語や講談は現在もブームになっていますが)。わたしたちはなにか新しいものに出会ったとき、まずはそうした馴染みのある「物語」の型に当てはめることで理解しようと努めるものです。だからこそ、明確な物語構造は大衆的な「わかりやすさ」につながるのです。

矢野利裕. 「国語」と出会いなおす (pp. 58-59). 

▼そこからは文学研究の世界で、Kの手紙には「薄志弱行だから自殺する」旨が明記してあり手紙に「自分が批判されていないから」安心するのが『こころ』のテクストだと。薄志弱行という言葉には、三角関係の末の絶望よりももう少し複雑な「手続き」が必要だったのでは?とは一次資料から察せられる。さらにKは、自分はもっと早く死ぬべきだった という自殺願望を先生の抜け駆け以前に抱いていたとは一次資料から確認できる。テクストを丁寧に読み解いていけば、自殺の伏線があちこちに貼られていることが読み手の誠実さで明らかになる。

 

 

 

▼出来ないものができた、という初段階の面白さ。それを奪ってはいけない(なぜか小学生のスポーツのようだ)。Kの自殺が失恋のショックからではないという「一次資料」を読んで「物語からの逸脱」体験をすること

①「物語」としてわかったつもりになること
②「物語」としての期待が裏切られること

という2段階の「スポーツ科での国語の授業の面白さ」が示される。構造の各要素は相互に入れ替え可能(レヴィ・ストロース)、「物語」化は個別性を見落とす(柄谷行人大江健三郎論)とくればもう、目眩く文芸批評への入り口たりうる。これが国語から文学への入り口なのだろう。


(長すぎるので、2回に分けて記事掲載します)

小説|中流階級における「認識」という檻|夏目漱石『それから』|PlayGroundCafe BOX読書会(8/22)

▼昨日はPlayGroundCafe BOXの読書会で、初の海外参加者が訪れた会になった。アメリカから来た若者はだいぶ日本に慣れた様子で『十二国記』を紹介。作の背景がancient chinaであることもそれぞれのキャラクターの神話的意味もしっかり理解していて、上橋菜穂子からトールキンまでファンタジークラスタの話が飛び、もちろん村上春樹(と彼になぜアンチが湧くのか)本も。「物語は国境を越える!」とみんなで感嘆した。

 

▼主宰さんが、彼が席を立っている間に「トークは少しゆっくり行きましょう」と差配して、なぜか引き合いに出された「固有名詞をゆっくり口に出すことで聞き手が噺の現在地を把握できる」桂歌丸の落語の技がいまこそ生きるという発想に妙味があって惚れそうになった。会社員になってから英語の一つも勉強した覚えがなかったが、珍しく英会話でも意思疎通ができた。

 

▼筆者の読了本は夏目漱石『それから』で、and thenという英題も記憶してた俺に死角はなかった。実家が成り上がりの実業家なのをいいことに、仕送りだけ使って文明を達観しながら生きていたハイスペック・プータローの代助が、友人に結婚相手として周旋した娘に恋して結局は略奪婚する物語だが、当然友人からは絶交され、友人がチクった親からも勘当され、結婚が実現した瞬間にそれ以外の全てを失って何処へともなく徘徊する話。性描写こそないにしても、漱石作品として「姦通」が主題化された初の小説でもある。

代助は近頃流行語の様に人が使う、現代的とか不安とか云う言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云わずと知れていると考えたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分だけで信じていたからである。  代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈していた。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見ていた。ダヌンチオによって代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断していた。だから日本の文学者が、好んで不安と云う側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚した。

夏目漱石. それから(新潮文庫) (p. 76).

▼序盤中盤の代助の文明批評に関しては「ごもっとも」という体感だった。不安の比較文学ロシア文学に出てくる不安は厳冬の気候と政情の混乱で、フランス文学の不安は有夫姦の多さで、イタリア文学の不安は堕落文化だから、と割り切っている。旧幕時代に暴漢を斬り、あわや切腹となった老父の武士道的過去?も気持ち悪い。「難しいことはわからないけど」と言うけどアウトプット・ポジショニングだけが巧みな大学生はビジコンによくいるよねという。

 

▼ただし、恋人を思ったとき、そういった文明批評がかつての恋人を「忘却」していたからだという症候に他ならないと突如認識し、そこからは一気に情炎と破滅に走る。彼が物事を多面的に見ての明白な判断をもって達観していたことを理解し、父の周旋した政略結婚を引き受けさえすればなんの波風も立たないことも理解している。あらゆるファクターから影響を受けて変わるものなのだから、永遠の愛なんて偽善の最たるものと断じた瞬間、すでに人妻になっていた三千代の姿が浮かぶ。

その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機[*43]に、測りがたき変化を受けつつあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞めなければならない事になった。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を選んだ。彼等のあるものは、生涯に情夫を何人取り替えるか分らないではないか。普通の都会人は、より少なき程度に於て、みんな芸妓ではないか。代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。  此所まで考えた時、代助の頭の中に、突然三千代の姿が浮んだ。その時代助はこの論理中に、或因数は数え込むのを忘れたのではなかろうかと疑った。けれども、その因数はどうしても発見する事が出来なかった。すると、自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。

夏目漱石. それから(新潮文庫) (pp. 175-176). 

 

▼おそらく、芸者遊びや行きずりの関係に関して、代助は経験ありなわけではないだろうが、その事情に関して観察して洞察するくらいのことはしていると思われる。現代にこの作品が生まれていたとしても「合コンでのお持ち帰り」「セックスフレンド」から「初体験ぐらいはしておきたくて店に」「独身の定期的な性欲処理」に至るまで、代助は実体験として経験、とまではいかなくてもその手の若者言説の本質は把握できるのではないか。

 

▼この小説のもう一つのキモは、まさに朝日新聞連載という方式で書かれた1909年が社会史的には「サラリーマン」の勃興期だったということである。経済産業体制の固定と日露戦争前後の特需で、商社や銀行などの「財閥」の関連企業は大きくその業績が伸びただろうし、そこに勤めているアッパーミドル、藩閥政治に一枚噛むほどではなくても学を活かせるまでの家の太さがある人間は給与所得者の安定性も得られただろう。『それから』にはまさにそれらを集約させ、ご丁寧に会社らしい部下の社費横領の管理責任で再就職を余儀なくされたのが三千代の夫・平岡になっている。

▼おそらく、この物語は「中流階級」「アッパーミドル」ゆえにという枕詞ありきで、認識に依存する者の悲劇を描いたものだろう。代助は「都会は単なる人間展覧会」として浮ついた雰囲気もどうかねと思いながら、また反面ディープな思想哲学に浸るのも敬遠する。処世how to make itばかりが得心という考え方への嫌悪。だが、そんな代助は友人の細君を奪い取り、その友人は社会人の流儀として代助に交友お断りを示し、挙句に父にその不義を報告する。父にはもちろん兄にも絶縁を言い渡され、立派なコンプライアンス的対応によって傷ついた代助は、就活しないと…とハローワークに行く。反社会的リスクを大量に背負っている表象として、闘争の色として嫌っていた「赤」がそこかしこに現れ、代助を苛んでこの作品は終わる。

 

▼代助がその後、どういうことに悩んでいたかは、実体験ベースではあるがかなり察しがつく。社会倫理違反の満載で、親兄弟からも見捨てられた代助の就活が失敗することは目に見えているだろうが、おそらくそれ以上に生涯にわたって代助を苛むのは、三千代への恋云々以前にディープなことをしていなかったことへの後悔だろう。バカをやったりナントカの哲学に染まって大人になっていたら、こんな「愚行」はしなかった。世の風からは「逸脱」してきたが、最後に兄に愚図と呼ばれる「自分」からは「逸脱」していなかったのだ。

 

▼自己認識死守、評論家ポジの堅守に収まったまま、信じられないほど「稚拙」に愛という人間コミットを迎えたことの悲劇は、三島の『世界を変えるのは認識ではない、行為なんだ!(金閣寺)』にも通じる。作中では幸徳秋水が司直に外出すら監視されている旨の言及があったが、この物語の続編(『それから』の「それから」)があるなら大逆事件の末端を噛むか、噛むこともできずに残念がってつまらない諍いを起こすというオチかもしれない。

 

▼昨日の自分を裏切る行為は、誰かしらが何かしらやっていることである。ただそれを忌避し続けた「高踏な」認識にこもった者が他ならぬ「社会」に最悪の「逸脱者」として迎えられるという悲劇を、本作は教えてくれる。

小説|「あのとき、ああいう人がいた」という体験の効能|長嶋有『猛スピードで母は』|やまがたビブリオバトル(8/10)

▼他人を蹴落としてのし上がってきた悪役がよく言うセリフとして結構な定番なのが「ああ、そんな奴もいたなあ」である。「そんな奴」は大体傷ついて再起不能になっているか、主人公の魔法で骨抜きになっているか、主人公に痛いところを突かれて吹き溜まりでメソメソ誤魔化してるかのいずれかである。道徳的にはだいぶ問題あるだろうが、私はそういった言い草を否定はしない。悪役は不在を引き受けているからである。

 

▼とはいえ私たちの一生において「そんな奴」の記憶を抜きにして生きられる人間は、おそらくそんなそんないない筈である。先日、課外活動の教育現場に立たれている方にインタビューをしたところ「斜めの関係」での交流を創出して化学反応を起こすのが醍醐味であると。タテのつながりで高圧的に命令してくる先生や親の言うことなんか聞きたくないけど、部活で頼まれて来られているコーチの言うことは、不思議なことに結構属事的に素直に受け入れられるっていう。そういった斜めの関係で気づきを得る出会いが、課外活動の可能性なのだと。

▼と言うことで、この小説に収録された著者のデビュー作『サイドカーに犬』はまさにそうした斜めの関係の大人の物語である。姉と弟の兄弟の、小学校4年生の夏休みの話。冒頭から、母の家出で幕を開ける。そして、洋子さんという見知らぬ女がやってくる。父の愛人?とも不倫相手とも明記されない女。電動自転車持ってるんだけど、サドルだけ盗まれて、ムカついたからサドルだけ隣の自転車から盗んでやったと豪語するし、ほら、今から晩飯作るから、メモに書いたもの買っといで、ってテキパキ命令して、几帳面なのか食器とお菓子入れを分けていた母親の不文律に構わず、カレーを食べたお皿を洗って姉弟の好物の麦チョコを空ける。母のルールは別に絶対的前提じゃなかった、と姉の世界観は一新される。

 

姉弟のなんとも言えない宙吊りの時間にいろんなエピソードが挿入される。万引き家族みたいな会話、と言って終えばまとめやすいが、山口百恵の豪邸見にいこうよと夜の散歩をしたりしている。だが最大の思い出は『サイドカーに犬』のタイトルの通り、サイドカーのついたバイクに乗った夜のことだった。山口百恵の家から帰る際に、いつもは土建会社からのおさげのボロい車(しかも自分は外車を売り飛ばせる店を立ち上げるんだと豪語している)に乗って、止まったら「動け」「頑張れ」とバンバン叩く父が、なぜかその夜だけサイドカー付きのイカした大型バイクに乗ってやってくる。そして洋子を後ろに乗せ、サイドカーに姉を乗せて夜の国立駅界隈を爆走する。

 

▼まだ拙作であるせいか、回想の挿入がところどころご都合が良くて、注意深く読まないと見落としてしまうところがある(そもそも現在から回想している体の小説だが、幼児的感覚としては妙にリアルなところがある)ものの、そこでサイドカーに惚れた理由が「回想内回想」される。父の運転するボロ車で海に行く時、並走しているやはりサイドカー付きのイカした大型バイクに憧れ、なぜかそのサイドカーには「犬」が乗っていた。姉も弟も「サイドカー」に憧れ、そこに乗っている犬に羨望を覚え、さらにそこに乗れるなら「犬」でもいいと思う。「自分が犬で、凛としてサイドカーに座っていることに憧れる」

 

▼その後、姉と弟は随分大人に遊んでもらえるようになった。特に姉は洋子さんを理解し、洋子と「あなたのことが好きだよ」と言い合えるような間柄になれる。だが運命の1日はやってくる。遠出で、初めて洋子から年齢を聞かれて、芥川の芋粥が好きだよという教養も少し見せて、まさかの家族レギュラー定着と思わせたところで、母が戻ってきて食器を洗って正座していた。もちろん母は激怒していた。修羅場になって、「人の家めちゃくちゃにしといて何様だ。謝りなさい」「謝っても許してくれない人には謝りません」と言う言い合いになり、母は洋子を平手打ちし、そのまま洋子は逃げていく。父親も金策の一環で前職の会社の金庫を盗んだところを逮捕され、母は姉弟と父を捨てて出ていき、夏が終わる。でも不思議と、母は昔のような束縛と厳しい教育は強制することは無くなった。

 

▼この小説を、教養小説か何かのように読んで、「あなたの人生というバイクのサイドカーに乗ってる人は誰ですか?」「あなたは誰のサイドカーに乗っていますか?」「そうだとしたら犬でもいいですか?」と問題設定するのはまあ誰でもできることで、筆者が面白いと感じたのは終わり方だった。物語の本筋はあくまで現在スタバで弟と姉が久しぶりに会っている中で、アメリカをフラフラして帰ってきた弟(父と麻雀してる仲間に随分可愛がられた、という箇所に差異が見られる)は「そろそろじゃない?」と姉に話しかける。姉は一瞬戸惑ったが、自分が結婚式の二次会に呼ばれてると思い出して結婚のことと納得した。でも、「それよりも別の何かがそろそろという気がする」と終わる。これが最高に気持ちのいい終わり方だと筆者は多少羨ましくもあった。

 

 私は、多分、もうあのころの洋子さんの年齢を追い抜いているのだ。
  それなのに、あのときの洋子さんのような、母の平手打ちに怯まない強さももたず、人の自転車のサドルを平気で奪える残酷さもなく、他人を不幸に巻き込んでしまうような恋もしていないし、傷ついたことさえない。
 「俺、そろそろ仕事。薫は?」弟は文字盤の大きな腕時計をみながらいった。
 「結婚式」口に出してみるとひどくさえない響きだった。私はこれから友人の結婚式に出て、二次会にも付き合って、それからビジネスホテルに泊まるのだ。
 「薫もそろそろなんじゃないの?」と弟はいった。私はうろたえた。「そろそろ」というのが結婚を意味すると気付くのに少し時間がかかった。結婚のことだと気付くと、むしろ私は安心した。
  それよりもっと別のなにかが「そろそろなんじゃないか」という気がする。

長嶋 有. 猛スピードで母は (文春文庫) (pp. 52-53)

 

▼おそらく、「そろそろ」は「洋子さん」との思い出とせざるを得ないだろう。筆者も振られてばっかりで結婚式を豪華に挙げて可愛い子供にも恵まれた同級生は数え切れないが、子供を育て上げればあとは自分探しという関門が待ち受けていると最近姉やそういった同級生を見て、みんな「そろそろ」がないよなと思っている。「そろそろ」があるということは「洋子さん」がその中に生きているという証だ。実に姉が一生懸命に生き、洋子を理解しようとした結果生まれたものだと思えてならない。究極的には「死」に飛躍させても、次の段階への「そろそろ」の一環でしかなくなるのではないだろうか。筆者はそういう話を、実に羨ましく聞いている。

 

▼課外活動では「今度はお前たちが、斜めの立場から後輩を導くんだからな」と指導して卒業させ、あるいは卒業後を見届けて終わりと見定めているらしい。少年少女は自分の選択でいろんな体験ができるし、大人になってもそれは変わらない。「そろそろ」がどんなふうになるか、楽しみにしながら学んでいってください。

 

ビブリオバトルの選書テーマは「少年少女(の心を持った大人)へ送る、夏休みに推す本」らしいです。

日本史|『逃げ若』の舞台となった世界|日本史史料研究会『南朝研究の最前線 ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで』|山形読書会(7/27)

週刊少年ジャンプ連載で南北朝時代の鎌倉嫡流の遺児・北条時行が主人公の,漫画『逃げ上手の若君』が大変人気であり、いよいよ舞台は観応の擾乱の本番、尊氏と直義の直接対決に時行がどう噛むかという展開になってきた。コメディとしても学ぶところ多く、目が離せない(とはいえ、北朝と尊氏の汚点?である正平の一統は3コマくらいで終わり、「ムチャクチャな尊氏」像の補強に終始してしまったが)。

▼作中の歴史構造としてのキモは「鎌倉幕府はなぜ滅んだのかよくわからない」という体感だった。小学生のころ読んだ歴史まとめ漫画では得宗専制の腐敗と、元寇の恩賞交付・永仁の徳政令の失敗が原因とされたが、監修の本郷和人氏の解説では「綻びはあっても統治は安定しており、全国の武士が一斉に幕府に襲い掛かる理由がないのである」としていた。

 

▼管理人も素人知識ながら北条体制は腐敗してはいなかったと考えている。曲がりなりにも桓武平氏という血統ブランドがあった平氏政権と違い、ただの地方豪族だった北条氏には血のバックボーンがない。結果、御成敗式目で理非曲直の基準を示すなど常に「善政」がハードル高く求められたと考えるからである。

 

▼もうひとつのキモは「足利側の人間がめっちゃ利権目当ての薄汚い政治家に見える」という点である。もちろんジャンプ連載の少年漫画だから敵を俗悪として描くは当然かもしれないが、本書に出てくる戦前の歴史学者平泉澄のスタンスや、大臣の辞任にまで発展した南朝正統・足利逆賊の史観を踏まえてのことかもしれないと勘繰りたくなる。

 

▼戦争を生き延びた祖父の影響で皇国史観なんて頭おかしいだろと子供の頃は思っていたが、子供向け歴史漫画にはしっかり実証性の乏しい内容が掲載されており、歴史の実像と確実性を追求するのがいかに困難かを示してる。本書では一般に有名な網野善彦の研究すら過去のものとして論破されているからである。

 

▼まず、学校で必ず習う建武の新政像がもう最新の研究(といっても2016年の出版だが)では否定されている。後醍醐天皇は確かに生命力とカリスマ性に富んだ帝ではあったものの、かといってスティーブ・ジョブスのような超絶革新的な事業をプレゼンしたわけではなく、その政策内容を具体的に見ていくとそれ以前の大覚寺統(鎌倉の視点から見れば、後醍醐は両統迭立のピースの一つでしかなかった)の帝の施策と連続性が見られるし、新設の部署に武士を積極登用していた。南朝の主力となる新田義貞もその中での中堅どころの武士の一つで、鎌倉を直接攻略したとはいえとても尊氏と張り合える武門の英雄ではなかった。とはいえ後醍醐のスタンスの要点として「幕府は認めない」は徹底しており、武家政権との併存も可とした北畠親房父子を東北に左遷している。

 

▼人間の一生は短い(ましてや中世では)から、1333年の鎌倉幕府滅亡から1392年の南北朝合一までリアルタイムでニュースを追った当時の報道人・記録人はほぼ皆無であることも研究を困難にする要因であろう。それに「時間が経つと、みんながちやほやしてる南朝というものは、もともとの南朝よりも、だいぶ違ったものになってしまった」可能性もあると思った。本書では主に関東と懐良親王の征西府、そして合一後に両統迭立が守られなかった怒りによる「後南朝」の形成までが専門の研究者によって紐解かれている。

 

後醍醐天皇、北畠父子、新田や楠木の死後、吉野まで追われてしまった南朝は、足利政権内で干されたor反逆者となった武将が都合よく投降して利用する政治的アイコンとなってしまった。最新の「後南朝」の活動についても研究が進み、北畠満雅の反乱失敗(1429年)で北畠氏という出資者を失ったあとも、嘉吉の乱(1441年)で反乱軍が足利直冬の後裔とともに南朝の後胤を担いだり、応仁の乱(1467年)で幕府のイニシアチブを取り切れなかった西軍に南朝の後胤が訪れたり、なんと後南朝、明応年間(1499年)まで活動が史料によって確認できるという。

 

▼さらに対外関係史では欠かせない懐良親王の「征西府」も、後醍醐天皇の皇子地方派遣によって南朝の支持を全国展開しようという当初の営業プランとは裏腹に、九州の地域性に応じて発給文書を武家様式化する変化が見られ、九州探題足利直冬、征西府、今川了俊といった九州統治者の目まぐるしい転変の中、現地の武士の実情に合った営業スタイルを模索する必要性が描かれている。ただ明の冊封朝貢に関して独自外交を行ったことで「九州独立王国」構想があったかというと、これは現代視点ではあるがちょっと中二っぽいという感想も抱いた。

▼「逃げ若」に戻るが、権勢を誇った高師直が「鎌倉幕府はなぜ滅びたのか」と洞察した箇所が3点ある。1に行政スタイルが時代遅れとなったこと(なので建武政権の革新を故意に失敗してもらい、それを修正して権力を得ようとした)、2に守旧的な皇室・公家を甘やかして余計な負担を増やし恨みを買った(帝など鋳金か木の像にしてそれを崇めてしまえばいい、という後世創作の発言をネタ化したと思われる)、そして3に、「まったく実に真面目に働きすぎて功労賞を得すぎたおかげで、政権与党のそいつらを倒すと大量の利権が得られるチャンスが出来てしまった」。

 

▼本書が刊行されるとき、歴史番組で編者の呉座勇一氏は鎌倉幕府打倒の教訓を「シングルイシュー選挙は怖い」と表現していた(ちなみに同席していた平野啓一郎氏は足利尊氏について、早死にしたが嫡男だった兄がいたことと和歌集にかなりの入選作が見られることに触れ『文学青年として一生を終えるつもりだったのではないか』としていた)。狂信的な某政党がナチスのように大量の票を集める恐怖と切り離しではいられない今回の選挙も、まったくもって不安だらけである。